轍(わだち)

これまでの足跡や日々の感じたことを紹介していきます

1970年代のテレビ事情

ブラウン管テレビが一家に一台

今では薄型の液晶テレビしか見ることができなくなりましたが、’70年代当時はブラウン管テレビと言って、でっかい箱型のテレビしかなく、おまけに高価でしたので、一家に一台が普通でした。

そのため、話題のドラマや音楽番組などが放送されると、家族みんながテレビの前に集まって楽しむという光景がどこの家庭でも見られていました。

屋根の上のアンテナ

昔も今も、テレビ電波の受信器が各家の屋根の上にあります。

テレビを設置する時に、電気店の人が来て固定するのですが、受信機の向きによってテレビの映りが替わるものですから、設置に際しては屋根の上と茶の間の窓のところで大声を張り上げながら向きを調整していました。それでも、家が建っている場所によっては、電波が弱く(特にUHF)、見たい番組が視聴できないこともありましたので、その時は、近所の友達の家に行って見てくることもありました。

また、強風が吹いたり台風が来たりすると受信機の向きが変わり、テレビの映りが悪くなってしまうこともしばしばで、よく父親が屋根の上に上がって受信機の向きを変えていました。

番組が始まる前の恒例行事

当時は、ビデオもなかったので、お目当ての番組が始まる前には、用事を済ませたり、おやつを取りに行ったり、トイレに行ったりと、放送時間に合わせて準備をし、番組が始まるのを今か今かと待っていたのが思い出されます。現在では録画をしてCMを飛ばしながら見ることができるようになりましたので、番組開始前の恒例行事を見る機会もなくなりました。

チャンネルを回す

皆さんは、テレビのチャンネルを替える時、年配の人が「チャンネルを回す」と言っているのを聞いたことがありますか。

当時はリモコンなどという便利なものはなく、チャンネルを変えたり、音量を調節する時は、テレビ画面の下や横に並んだ「つまみ」を回していました。

 

今では、「Hey Siri(ヘイ シリー)」と言えば家電製品を操作することができるようになりましたので、本当に便利な世の中になったなあと、思っています。