轍(わだち)

これまでの足跡や日々の感じたことを紹介していきます

早くも東京で桜の開花宣言が!

3月14日、東京で桜の開花宣言がありました。

平年より10日早く、2020年、2021年と同じで史上最速タイ記録だそうです。

1月から2月にかけて、例年にない寒い日が続きましたが、3月に入ると平年より気温の高い日が続いていたことが要因ではないかと言われています。

 

私の地域では、3月20日ごろが見ごろのようでして、先月まで行ってました京都では3月22日が開花予想となっていますので、3月25、26日の土日は、満開の見ごろになっているのではないかと思っています。

 

でも、春に京都へ行く用事がなくなったので、今年は、地元の桜で我慢しようと思っています。

哲学の道

コロナ前に撮った京都「哲学の道」の桜並木です。

早くマスクがいらない生活に戻りたいですね。

昨日はホワイトデーでした

昨日はホワイトデーでした。

1か月前のバレンタインデーでは、妻と娘からありがたい義理チョコ(?)をもらったものですから、当然、お返しをしないといけません。

仕事の帰りにお菓子屋さんに寄って二人が好きそうなお菓子を買って帰ることにしました。

 

妻は普通のクッキーなんですが、娘は柔らかいクッキーが苦手だということで、毎年、せんべいを買っていますので、今年も、定番のせんべいを買って帰りました。

妻が帰ってくると、職場でも上司からお返しのお菓子をもらったようで、机の上にはクッキーがいっぱい並んでいるものですから、いつも以上にご機嫌の様子でして、バクバクとおいしそうに食べていました。

私は「太るぞー!」と心の中で叫んでいましたが。。。

ホワイトデー

少しはおすそ分けがあるかな?

 

予備校時代の下宿先は4畳一間

何とか学費も無事に納めることができたので、今度は下宿先を探さないといけません。

 

実を言うと、私の仲のいい友達2人(J君、M君)も浪人生でして、同じ予備校に通うことになりました。二人に下宿先の相談をすると、K君が一緒に探しに行こうと言ってきたものですから、他の友達(Y君)を誘って3人で下宿先を探すことにしました。

 

当日は、朝早くから電車に揺られて予備校がある町まで向かいます。ほどなく予備校について、事務室で下宿先を紹介してもらいました。すでに3月半ばを過ぎていましたので、いい物件が少なかったのですが、その中でも比較的条件のいい部屋を3つ見つけ、3人で下見に行きました。

 

うち2つは昔ながらの二階建ての木造アパートで、部屋の向きが悪いためか、昼間なのに部屋は薄暗く、じめじめした感じでしたので、すぐに却下となりました。

そして、最後の3つ目の物件、ここは1階が大家さんで2階の部屋を予備校生に貸しているとのこと。東向きで、道路に面しているため日当たりも良好でしたが、家賃は1万円(電気・水道代込み)で大きさは4畳一間、トイレ、洗面所は共同で、当然風呂なし。玄関の入口は大家さんと同じなので「門限あり」となっていました。

 

それでも、浪人生で遊んではいられないこともありましたので、部屋が明るいということで、同級生2人と住むことに決めて帰りました。

なお、2階には全部で5部屋あって、そのうち4畳の3部屋(東向き)を我々が占領しておりまして、残り6畳間の2部屋(西向き)は、1部屋は他校の予備校生(A君)、もう一部屋は空きの状態でした。

しかし、5月には、高校の同級生のH君(いずれも同じ予備校生)が引っ越してきたものですから、5部屋中4部屋を 私の高校時代の同級生が占める状況となり、受験勉強をする環境としては良くない状況になってしまいました。

 

ちなみに、A君は、途中から予備校に来なくなり、結局、夏休み前には引っ越してしまうのでした。いつも我々が騒がしくしていたものですから、受験勉強ができる環境になく、申し訳ないことをしたなと思っていますが、彼女さんと気兼ねなく会えなかったことも引っ越しの理由ではないかなと勝手に思っていました。

下宿

先日、当時の下宿先の近くを通りがかったので、40年ぶりに寄ってみたのですが、すでに鉄筋の賃貸マンションが建っていて、辺りも様変わりしていました。

 

 

予備校の学費納入でヒア汗をかく!

予備校への進学を認めてもらったので、早速、入学手続きをしました。

学費が40万円ほどかかるため、母と銀行へ行って振り込むことになり、事前に準備していた封筒入りのお金をバックに入れ、バス停へと向かいました。

 

ほどなくバス停に着いたのですが、少し時間があるとのことで、母はバス停前のお店に寄って買い物をしていましたので、私はしばらくの間、バス停の長椅子に座って待っていました。

 

そうこうしているうちに、バスがやってきて、母と二人で乗り込んだまではよかったのですが、ここで私が大失敗をしてしまいました。

そうなんです。バス停の長椅子に学費が入ったバックを置いたまま、バスに乗り込んでしまいました。

 

バスが100mほど走ったところで気が付いたものですから、二人は大慌てです。次のバス停に停まると急いでバスを降りまして、今来た道800mほどを猛ダッシュで帰って行きました。

 

幸いにも、バックは長椅子に置かれたままの状態でしたので、事なきを経て、なんとか無事に学費を振り込むことができました。

 

小さいときから忘れ物が多く、小学生の頃の通知表にも担任の先生からご指摘を受けていましたが、ここでもその本領を発揮してしまいました。

家に帰ってから両親に叱られたことは言うまでもありません。

バス停

 

 

WBC頑張れ侍ジャパン!

最近は、プロ野球もテレビ観戦することがなくなりましたが、木曜日、金曜日、土曜日の3日間、WBCワールドベースボールクラシック)をテレビ観戦していました。

木曜日は中国、金曜は韓国、そして土曜はチェコといずれも快勝でした。

 

中国戦では大谷選手が二刀流で投打に大活躍をして8対1で快勝。

韓国戦では、先制されるもすぐに逆点をし、終わってみれば13対4と二けた得点と、こちらも快勝でした。ん~満足満足。

そして昨日のチェコ戦では、佐々木投手が登板して、160キロ超えのストレートをズバズバ投げ込むという、素晴らしいピッチングを見せてくれまして、10対2で3連勝となりました。

 

まあ、それでも、ピッチャーの球数制限があって次から次へと交代するものですから、試合が長い長い。3、4時間もかかってしまうものですから、最後は眠くなってしまいました。

それでも、いずれも快勝でしたので気分よく眠ることができました。

さあ今日は2連勝中のオーストラリアが相手です。

頑張れ侍ジャパン!!

 

WBCワールド・ベースボール・クラシック

 

K子さんへの辛い報告が待っていた!

前回の記事はこちら>>>いざ志望大学の合格発表~結果は如何に!~

合格発表の日から5日目、T教の本部から帰って来た翌日のことです。

さすがにK子さんへ連絡しないわけにもいかないと思い、意を決して我が家の黒電話のダイヤルを回しました。

当時はプッシュ式の電話ではなく、ダイヤル式でして、気持ちも重かったものですから、いつも以上に重いダイヤルをゆっくりと1回1回、丁寧に回していきました。

 

そして、電話の向こうで呼び出し音が1回鳴ったと思ったら、受話器を取る音と同時に「もしもし!」と、いきなりK子さんの声が聞こえてきました。

私は、びっくりするも「あ!もしもし!K子さん!」と呼びかけると「ハイ!」と安堵したような声がしたのですが、その後、お互いに何を言っていいのか分からず、しばし、無言の気まずい時間が流れました。

 

それでも、私は、まずは謝罪をしなければと思い、連絡しなかったことをK子さんに謝りました。そして、今後の進路などについて報告をしました。

K子さんは、私からの大学受験の合否の連絡を受けなくても、当時は、新聞で合格者名の発表があったものですから、当然、翌日には結果は知っているわけでして、私からの連絡を今か今かと待っていたようでした。

本当に申し訳ないことをしたなと反省しています。

 

そんなこんなで、新天地への旅立ちまでに一度会って話をしようということになり、とりあえずその日は電話を切ったのでした。

黒電話

つづきはこちら>>>駅のホームでK子さんと別れのあいさつ?

 

 

1浪を認めてもらう代わりに。。。~宗教あるあるかも?~

今、「〇一〇会」や「〇ホ〇の〇人」の信者の方が話題になっていますが、二世の人たちが自らの窮状を訴えている場面をテレビで見ていて、「宗教、恐るべし!」と思うことがあります。

私もある宗教団体(T教)の元二世信者でして、高校生までは強制的に活動をさせられていました。

まあ、早く家を出たいという理由もこれが原因ではありましたが、学生時代は親の言うことを聞かないと学校へも行かせてもらえないという恐怖があり、しかたなく宗教活動に参加していました。

 

大学受験で失敗した後、目の前が真っ暗でどうしたらいいか分からず、しばらくふさぎ込んで、一言もしゃべらない日々が続いていました。

そして3日目の夜、さすがに両親も心配して、「話があるのでちょっと来なさい!」ということで、居間で両親と私の3人で、今後の進路のことを話し合うことになりました。

 

そして開口一番。

父親が言った言葉に、私は衝撃を受けてしまいました。

なんと、「近くの〇〇自動車(車の修理)の工場で働かないか?」と言うではないですか。大学受験に失敗した結果が自動車の修理工場という公式が理解できず(決して自動車修理工場の方を馬鹿にしているわけではありません)、あっけにとられてしまいました。

 

私は、特に何かがしたいわけでもなかったのですが、さすがに、現役受験で失敗したから就職するという気持ちにはなれず、とりあえず大学を出てから就職したいという希望は変わりません。ここは1年浪人して来年の大学受験を目指そうと決意しました。

でも、実家で一人勉強を頑張っても成績が上がる自信もなく、宗教活動からも離れたいとの強い思いもあったので、ダメもとで「どうしても大学に行きたいので、1年間、予備校に行かせて欲しい」とお願いしたわけです。

予備校なら家から通うことができないので、必然的に下宿をしなければなりませんので、実家を出ることができます。

 

一方、親としても、子供にそこまで言われたら、予備校に行かさないわけにはいきません。しぶしぶ認めてもらったわけですが、ここで交換条件が言い渡されます。

父親が、「私(父)と一緒にT教の本部に行きなさい!」と言うではないですか。

 

そうなんです。T教の本部へ行って1日修行をして来なさいとのことでした。

ここは私が折れるところです。しぶしぶ条件をのむことにしたわけです。

父は、善は急げということで、「早速、明日行くぞ」と言うので、翌日の朝5時に起きて父の運転する車に乗ってT教の本部へと向かうのでした。

 

結局、高校を卒業してからは、父も私に対して宗教活動を続けるように言ってこなくなりましたが、家を出て予備校に行く条件がT教の本部で修行をすることになるとは。。。。

やはり、「宗教 恐るべし!」だなと思ってしまいました。

宗教 恐るべし!