轍(わだち)

これまでの足跡や日々の感じたことを紹介していきます

子供の中学受験②

(続き)

苦手な作文の克服に向けて宿題を課す

中学受験の志望校ですが、競争率は3倍程ありました。

私の町では難易度が3~4番目位の学校でしたので、特に塾へ行って勉強をさせてまで行く必要性を感じていなかったため、独学に任せていました。

 

ただ、息子は作文が苦手だということでしたので、冬休み中の1週間、毎日1題、作文を書くように、宿題を出しました。

毎回、仕事から帰ると、添削をして、書き方のアドバイスをし、何度も書いて覚えるように言いました。

 

面接対策も実施

面接対策もしました。

想定される問いをまとめて、答えを息子に書かせたうえで添削をしました。

出来上がった問答を、とにかく丸暗記をするように言いました。

 

受験の結果は如何に

いよいよ中学受験の日を迎えました。

 

午前中は一般教養問題と作文、午後には面接です。

 

本人曰く、冬休みにした作文の課題が試験に出たので書けたそうで、喜んでいました。

 

子供の中学受験①

息子が中高一貫校を受験する

 20年ほど前の話になりますが、当時、小学6年生の息子がいました。

(今も健在です)

 

ある日息子は、中学受験をしたいと言い出しました。

受かれば高校受験をしなくて済むという、単純な理由のようです。

 

それでも、子どもの願いをかなえてあげるのが親の務め。

受験まで3か月しかありませんが、少しでも受かるよう、できることをしてあげようと勝手に思いました。

(続く)

失敗から学ぶ 読み原稿を作成して何度も練習あるのみ!

前回の失敗を機に、プレゼン能力の向上に励みました。

 

これまでは、作成した資料を見ながら頭の中だけでしゃべって満足して本番に臨んでいました。

今考えても、適当過ぎてあきれてしまいますが。これまで、何とかなっていたのがいけなかったようです。

 

そこで、次回からは、必ず読み原稿を作るようにしました。

 

資料をめくりながら、実際に声に出して読み原稿を読んでいき、おかしな表現があれば、その都度修正していきました。

 

ある程度できた段階で、時間を図りながら、5分、10分と、読み原稿に書き込み、時間通りに説明ができるまで、何度も繰り返し練習しました。

 

家に帰ってからも、なぜか換気扇の前に立っては、ぶつぶつと原稿を読んで練習をしました。

おかげで、持ち時間ちょうどで発表できるようになり、読み原稿も見なくてもよくなりました。

 

最近まで、読み原稿を作ってプレゼンをしていましたが、定年まじかの今では、発表する機会も無くなりました。

 

 

徹夜で会議資料を作成するも大失敗!

就職して3年目。

会議で1時間のプレゼン時間を与えられました。

私が担当する事業説明です。

 

初めて1時間の持ち時間をいただいたので、頭の中でシミュレーションした資料をつくることにしました。

 

当時は手書きが多かったのですが、その年に初めて導入されたワープロを使って資料をつくることにしました。

 

でも思ったようにいきません。

表はなんとかなったのですが、図ともなるとお手上げ状態。

ワープロなので当然なんですが。。。)

 

悪戦苦闘しながらやっと資料ができたと思ったら午前様。

急いで我が家に帰るも、睡眠時間は3時間ほどで、翌日の会議を迎えました。

 

結果、自分としては、一応説明できたと思ったのですが、30分で終わってしまい、上司からも「えっ!もうおしまい?」と言われる始末。

予定より早く閉会となってしまいました。

 

もう少し早くから準備をしていればよかったと、反省してしまいました。

 

 

 

 

現地検討会では、各都道府県の名勝も見学しました

都道府県が参加する協議会では、秋ごろに現地検討会が開催さます。

今でも行っている協議会もありますが、当時は、毎年、各都道府県の持ち回りで実施していました。

 

当日は、協議会の趣旨にあった施設の見学に合わせて昼食会場などでは、ご当地で有名なところに行って昼食をするなど、多少の観光も兼ねて現地見学を行っていました。

 

中でも印象に残っているのは、長崎県南島原市にある土石流被災家屋保存公園です。

ここは、雲仙普賢岳の噴火で埋もれた家屋を展示している公園です。

火砕流の恐ろしさ、すさまじさを、身をもって感じることができました。

 

今では島原市雲仙岳災害記念館(がまだすドーム)もできており、よりリアルに火砕流や土石流を体験することができます。

 

近くの雲仙温泉に宿泊して雲仙地獄めぐりも楽しめますので、関心のある方は、ぜひ訪れて見てはいかがでしょうか。

各都道府県が集まる会議では必ず懇親会がありました

各県が集まる会議では、必ず懇親会がありました。

中でも、一番印象に残っているのは、東京都庁の32階にある食堂での懇親会です。

当時は新庁舎ができて数年の頃でして、東京のきれいな夜景を見ながらお酒を飲んだことを、今でも覚えています。

 

逆に私の県が当番(主催)の時は、とても大変でした。

会議の運営以外でも宿の手配や部屋割り、料金の支払い、懇親会時の接待と、フル回転で業務をこなしていた記憶があります。

 

昨年まではコロナの影響で懇親会もありませんでしたが、今年の5月以降は、感染対策を徹底しつつ、通常開催になってきました。

毎月1回は県外出張で飛行機に乗る~マイルを貯めていればよかったのになあ~

私が最初に県庁で勤めていたころは、各都道府県の職員が集まる協議会がいくつもありました。

これは、各都道府県と国の仕事関係者で作る任意の団体でして、年に1回総会を開催し、年度途中には、各都道府県の持ち回りで現地研修会を行っていました。

また、役員も持ち回りになっており、幹事や会長県に当たると、年に2~3回、幹事会を開催したり、総会の準備で忙しくなります。

さらには、国や各都道府県で開催されるセミナーや講習会などにも参加していたものですから、県庁での最初の年は、毎月1回は県外に出張していました。

 

最近では、コロナの影響で、ほとんど県外出張がなくなってしまいましたが、これまでに仕事で出張した都道府県は、27都府県。

多いか少ないか分かりませんが、飛行機に乗る機会も多かったので、マイルを貯めていればよかったなと、今更ながら後悔しています。

 

また、よく考えると最北端の北海道と最南端の沖縄県にはまだ行ったことがないので、半年、出張する機会があれば行きたいなと思っています。