小学生の頃、ボウリングが大ブームとなっていました。
当時は女性のプロボウラー「中山律子」さんが一世を風靡していました。
私の町にもボウング場が2軒あり、連日、超満員の盛況ぶりで、休みの日は、1時間以上待たないとボウリングができない状態でした。
5年生の時なんですが、その日はお盆の日で、我が家には兄弟や親戚の人が集まっていました。
そして、誰かが「ボウリングしに行こう。」と言うものですから、私を含めて10人近くでボウリング場へと行くのでした。
当日はどれぐらい待ったかは覚えていませんが、私たちの順番が回ってきましたので、2レーンを借りて試合形式で点数を競うことになりました。
私は、ボーリングというと、家の廊下で、3メートルほどの布のレーンを敷き、プラスチック製のピンを倒すという遊びしかやったことがありません。
それでも、一番軽いボールを選び、みんなの投げ方をまねて、本物のボールを投げてみると、思った以上にピンが倒れていきます。
他のみんなはかっこいフォームでボールを投げるのに対し、私はゆっくりとしたフォームで勢いのないボールを投げます。
それでも、ボールは真ん中のピンめがけて一直線に転がっていくものですから、結構、ストライクやスペアーを取っていたものですから、2ゲームを終えた段階でトップを走ってしまいました。
結局3ゲーム目は疲れて逆転負けを喫してしまいましたが、大人を焦らしたことは間違いありません。
今でも、かっこいい投げ方はできませんが、当時と同じように、ゆっくりとしたフォームから投げるボールは、今でも真ん中のピンめがけて一直線に転がっていくのでした。
ただし、体力がなくなっているため、1ゲームしか持ちません。