轍(わだち)

これまでの足跡や日々の感じたことを紹介していきます

最後の人事異動の発表!結果は如何に?

春は異動の季節です。

私は今年で60歳になるものですから、とりあえずは最後の人事異動の発表を迎えました。まあ、定年が1年延長になりましたので、実質は最後ではないのですが、正職員としてはあと1年で終わりになります。

そして、待ちに待った異動の発表があったのですが、結果は異動も昇進もなく、引き続き現在の職場で仕事をすることになりました。

うれしいのか、うれしくないのかよく分かりませんが、まずはホッと一安心といったところでしょうか。

 

改めて異動表を見てみますと、当然、私より若い人が昇進しているわけでして、時代が変わったことを痛感しました。また、昇進メンバーを見ると、イケイケどんどん的で、どちらかというと部下からは嫌われているような人、上司から気に入られているイエスマン的な人が偉くなっているように思えてしまうのは、私だけでしょうか?

 

まあ、私と同じ年(あと1年で退職)の人でも昇進することなく遠くへ異動される人もいましたので、私はラッキーだったということで、自分を納得させているところです。

 

いずれにしても、来年度が最後の1年になりますので、これまでの集大成のつもりで、ほどほどに頑張りたいと思います。

人事異動

新聞に私の名前が掲載されるのも、1年後の退職の時が最後かな?

明るいと朝さんぽも楽しくなります

毎日6時すぎに朝さんぽに出かけているのですが、ちょっと前までは薄暗い中、誰もいない道を歩いていましたが、最近はだいぶ日が長くなってきたので、何人かのさんぽをしているおじさん、おばさんに出会うようになりました。

当然、東の空が明るくなってきていて、川辺ではカモやオオバンがせわしなく泳いでいたり、サギが餌を探す場面に出くわすものですから、私も軽快に川沿いの道を歩いていきます。

やっぱり、静かな早朝で、少しばかり明るくなった町をさんぽするのは気持ちがいいものですね。

 

また途中には、ストレッチをしているおじさん、何かをつぶやきながら歩くおじさんなどが居て、見て見ぬふりしながら通り過ぎていきましたが、この時間帯は色々な人がいて面白いです。

オオバン

オオバンがみかんのような柿のような果物を突いていました。

食べれるかな?

 

高1の春休みに初のアルバイトをする!

学校も春休みが近づいてきました。

私の高校生の時の話ですが、お小遣いとして月5千円をもらっていましたので、学生の身分としては、割と裕福(?)な方だったと思います。それでも、少しでも自由なお金が欲しいと思いまして、学校では禁止されていたアルバイトを、1年生の春休みにしました。

ただ、田舎なものですから、飲食店も少なく、適当なバイト先が見つからなかったものですから、親戚の土建屋さんにお願いして、1週間のアルバイトをさせてもらいました。

 

勤務は月曜日から土曜日の5日間で、朝の8時から5時までの勤務でして、朝、母親に作ってもらった弁当をもって自転車で親戚の家に行くと、そこからは、おじさん(従業員)の車に乗って仕事場へと向かいます。

仕事の内容は道路工事現場や建築現場のガラクタの廃棄処分やセメントの入った袋や木材等の資材の運搬、倉庫内の片付けなど、一日中重いものを持って運搬する仕事でしたので、夕方になるとヘトヘトになって帰っていました。

それでも、こちらから頼んでアルバイトをさせてもらっているので、文句も言わず、必死になって作業に従事しました。

 

アルバイト代なんですが、1日働いて2千円という、今では考えられない金額でした。月曜から土曜まで働いて1万2千円也、初めてのお給金です。

この時ばかりはお金のありがたみを感じることができたので、とてもいい経験をさせてもらいましたが、1日8時間働いて2千円、時給にすると250円。40年前の話とはいえ、割の合わない仕事だったと思います。

工事現場で作業をするアルバイト生

 

 

高校時代は液晶の腕時計が流行しました

現在、各県で高校の合格発表が行われています。

私の時はもう30年以上前になりますので、あまり記憶にはないのですが、その頃は、チューリップの「wake up」が流行っていまして、液晶の腕時計のCMでよく流れていました。

そのせいかどうかは分かりませんが、当時は液晶の腕時計が大人気だったものですから、私も高校の入学祝いに液晶の腕時計を買ってもらいました。ただ、一番欲しかった腕時計は高すぎて買ってもらえず、少し安い腕時計で我慢したのを覚えています(それでも2万円近くしました)。

 

学校へ行くと、針の腕時計と液晶の腕時計が半々ぐらいでしたが、液晶の腕時計を持っているだけで勝手に優越感に浸っていました。

また液晶の腕時計には、百分の一秒のストップウォッチが付いていたものですから、友達同士で9.99秒で止められるか、競争して遊んでいました。

 

それでも2~3か月も経つと、逆に昔ながらの針の腕時計が高級品っぽく見えてうらやましくなり、私の液晶の腕時計に対する優越感も冷めてしまいました。

いまでも、液晶の腕時計を見ると、頭の中で「wake up」の音楽が流れてきます。

デジタル腕時計

 

 

ふるさと納税でご当地グルメを堪能しています

昨年末に初めてふるさと納税をしました。

楽天市場で簡単に「ふるさと納税」ができたので、もっと早くからしておればよかったなと後悔しています。

今回は、毎日食べるお米や生活用品のトイレットペーパーのほか、普段食べないようなおいしいものを選んで購入してみました。

 

中でも、お勧めは「釜揚げしらす(2kgで13000円)」でして、250g×8パック入りになっていますので、1パックあれば家族3人でたっぷりのしらすを堪能できます。

しらす丼

我が家では、ご飯の上に刻みのりを敷き詰め、その上にしらすをたっぷり載せます。そして真ん中に卵の黄身をのせ、大葉とワサビを薬味に昆布つゆをかけて食べています

自然がくれた素朴な美味しさで、とてもヘルシーです。

冷凍しておいて、食べたいときに解凍すればいつでも食べることができますので、ぜひご賞味ください。

 

引っ越しが終了してホット!

私が電車で下宿先の町へ向かっている頃、私の両親はトラックに引っ越しの荷物を積んで私の下宿先へ向かっているところでした。

 

私が先に下宿先に着くと、しばらくして両親のトラックも到着したものですから、休憩する間もなく荷物の搬入を行いました。とはいっても、独り身の下宿生で4畳一間なものですから、冷蔵庫とこたつと参考書、布団、食器類を運ぶぐらいで、1時間もかからず終了してしまいました。

両親は、1階の大家さんにあいさつに行くと、何もすることがなくなったものですから、「頑張りなさい!」の一言を残して実家へと帰っていくのでした。

 

両親を下宿先の玄関で見送ったあと、部屋に戻ると、狭いながらも誰にも邪魔されない自分一人の自由な空間が広がっているようで、親の束縛から解放されたことと相まって、「ホッ!」とした記憶がいまでもよみがえってきます。「さあ、1年間、(受験勉強)頑張るぞ!」と心に誓うのでありました。

引っ越し

 



 

 

駅のホームでK子さんと別れのあいさつ?

【前回の記事はこちら>>>K子さんへの辛い報告が待っていた!

結局、K子さんと同じ町の予備校に行くことになりましたが、これからのことを含め、一度会って話をするつもりで何度か電話をしたのですが、K子さんも引っ越しで忙しくて、中々会う機会がありませんでした。

そうこうしているうちに、私は、一足早く故郷を離れていくことになりました。一応、K子さんには電車の出発時間を教えていましたが、行けるかどうか分からないとの返事。結局、私の下宿先の住所や電話番号なども伝えられませんでした。

 

そして出発の日、早めに駅へ着くと、K子さんと同じ短大に進学するO子さんが駅で待ってくれていました。しばらくO子さんと、お別れパーティーのお礼やら、これからのお互いの健闘を称えたりしていましたが、帰りのバスが来てしまいました。

そのためO子さんには、「K子さんに会えないかもしれないので、渡してほしい。」と、私の連絡先を書いたメモを渡して別れました。

 

ほどなく、電車がやってきました。私は、K子さんとの別れはあきらめ、電車へと乗り込みまして、改札口が見える席へ座りました。

結局、会えなかったなあと残念に思いながら、ぼんやり、外を眺めていると、改札口の横から、体を乗り出してホームに停まった電車を見て誰かを探している女性を見つけました。

私は、「あっ!K子さんだ」と思うと同時に、席を立って電車から飛び出して行きました。

 

会えないものとあきらめていた私は、何を話せばいいのか言葉が見つからず、ただ、来てくれてありがとうとお礼を言いました。K子さんは、今にも泣きだしそうな目で見つめてくるものですから、私も思わずもらい泣きしそうになりましたが、出発の時間が迫っています。

私は、O子さんに連絡先を渡していることを伝え、落ち着いたら電話をしてもらう約束をして急いで電車に飛び乗りました。

ほどなく、電車は次の駅へ向かって出発しました。私は、見送るK子さんの悲しそうな、それでも、笑顔で手を振る姿を目に焼き付け、ふるさとの町を後にするのでした。

駅のホームでお別れ

【次回はこちら>>>K子さんと再会を果たすも歯車が狂いだす